twitterは「自分と同じ意見を探し、満足する」というシステムだ。つぶやきの名が表すように「暇つぶし」のための道具だ。それを日本は「民衆の意見を反映している」「識者と一般人をダイレクトにつないでいる」とほめている。
ほめるのは「お金が動くから」で、その意味ではほめる人たちには理由がある。だが、のせられる大衆は時間の無駄遣いをしていることに気づいていない。
哀れとしかいいようがない。
特に、こうして10代20代は勉強も自己向上もせずに、モバイルツールと戯れて時を過ごすのかと思うと嘆かわしい。
携帯やインターネットが出てきたころから言われていることだが、ここまで来ると憂えるどころか、呆れてしまう。
そのtwitterでふたたび時代の寵児を目指すホリエモンは、わかってやっているためか「日本はルールを変えようとする者を叩く。そんな奴らの相手をするには人生は短い。日本を見捨てよう」的な発言をしている。
ごもっともだ。
今の流れが変わらないなら見捨てたほうがよいだろう。
今の10代20代が10年後になって社会に出てきても戦力にならないからだ。
携帯電話の使い方と芸人の名前だけに詳しい連中に何ができるだろうか。
早々と諦めて、日本が滅ぶ手助けをするシステムで金儲けを考えるホリエモンは嫌いだが、何で稼ぐかは人それぞれだ。沈む船があるときに「持ち主は死に、海の底に沈むだけの宝ならもらっていこう」と船内を走り回る者がいてもおかしくはない。
twitterの欠点は「つぶやきひとつひとつが見える」ことだ。
人間の体はひとつだ。時間も有限だ。
そこに数えられないほどのつぶやきがある。
当然、見ていられない。読むものを選ぶ必要があり、さらに絞る。繰り返せば自分の求める意見に偏るだけだ。それはどうしようもない事実だ。絞らずに読むのもいい、だがそれは全体ではない、そのときにたまたま目にしたものだけで意見を決めるならそれも愚考だ。
つぎやくというシステムはどこまでいっても自己満足だ。
最初から暇つぶしとして使う者には、とてもよいシステムだ。
ただ、仮にも成功しようと思うなら、その「暇つぶし」じたいをなくさなければならない。もしくは「一日30分」にとどめるくらいがいいだろう。それ以上は「つぶやき」の名の通り「鳥がさえずってるなあ」でいい。
このブログを見るような人は、twitterで無駄な時間を過ごさないように。
2011年02月09日
2010年08月09日
馬鹿だなあ。老人ばっかの組織はこうなるのか。
将棋盤の価格が数十万か数千万かは、どうでもいい。
連盟のサイトに「正式文章」として意見が載っていることに笑った。
俺はスポンサーじゃないけど、
俺がスポンサーだったり、スポンサーやってる知り合いに尋ねられたら、
迷わずに、降りるね。
個人が言っているあいだはいいよ。それこそ「ぼけた老人が叫んでる」で終わるし。組織が言っちゃあ、終わりだな。
真偽じゃないのよ。合っていても間違っていても、組織が「個人によって動きました」ってことが異常だっての。
もちろん、組織も彼らも否定するだろうけど、公式サイトを見た人はふつうにヒクわあ。逃げるわあ。関わりたくないと思うわあ。
つまりそういうこと。
将棋は好きだが、俺がスポンサーなら迷わずに降りるね。
連盟のサイトに「正式文章」として意見が載っていることに笑った。
俺はスポンサーじゃないけど、
俺がスポンサーだったり、スポンサーやってる知り合いに尋ねられたら、
迷わずに、降りるね。
個人が言っているあいだはいいよ。それこそ「ぼけた老人が叫んでる」で終わるし。組織が言っちゃあ、終わりだな。
真偽じゃないのよ。合っていても間違っていても、組織が「個人によって動きました」ってことが異常だっての。
もちろん、組織も彼らも否定するだろうけど、公式サイトを見た人はふつうにヒクわあ。逃げるわあ。関わりたくないと思うわあ。
つまりそういうこと。
将棋は好きだが、俺がスポンサーなら迷わずに降りるね。
2010年08月06日
審判は必要なものとはいえ、
http://www.youtube.com/watch?v=iwOdAXhzQUY
これがいちばんひどい。タイミングとかではなくカウントミス。記憶力に問題か、足し算ができない人でも審判になれるのか。
http://www.youtube.com/watch?v=K3lDxDbcOl8
野良審判の能力はこんなものだね。人だからどうしても感情が入るだろうし、誤審はしかたがないか。
これがいちばんひどい。タイミングとかではなくカウントミス。記憶力に問題か、足し算ができない人でも審判になれるのか。
http://www.youtube.com/watch?v=K3lDxDbcOl8
野良審判の能力はこんなものだね。人だからどうしても感情が入るだろうし、誤審はしかたがないか。
2010年05月18日
AVがつまらないのは
たいてい男優が「ぐちょぐちょだよ〜」とか言っている。とにかく男がしゃべると駄目だ。
「ねえ」を多用する男も駄目だ。
「〜が欲しいって言ってみな」とかいうのは救いようがない。
ノウハウを共有する下地もなければ、ジャンルが共有するようなものでもないので、AVは成長しないまま、女優に任せっきりなのだ。
同じ失敗で客がどんどん離れていく。
もちろん、個々に学習していくのだが、受け継がれることもなければ、評価を出すところもないため、元の木阿弥になる。
メーカーと個人撮影の間にあるような作品だと、より顕著だ。
こちらは「積み重ねよう」とか「よくしていこう」という意識自体がないため、視聴者が「嫌がらせだろうか」と思いたくなるような作品も多い。
もとより狭間にあるような作品の売りは「珍しいだろ」にあるから、しかたがないのかもしれないが。
ただ、業界やジャンルが腐るときはたいてい「仕方がない」が横行している。
とどのつまり「仕方がない」は「解決策を考える気がない」というだけなのだ。
廃れるのも当然である。
狭間にあるようなものは、廃れたほうがいいから、これでいいのだろう。
「ちゃんと」というのも変だが、ちゃんとしたAV女優とちゃんとしたメーカーのAVに関しては、よりよい作品のためにノウハウを積み重ねていってもらいたいものだ。
「ねえ」を多用する男も駄目だ。
「〜が欲しいって言ってみな」とかいうのは救いようがない。
ノウハウを共有する下地もなければ、ジャンルが共有するようなものでもないので、AVは成長しないまま、女優に任せっきりなのだ。
同じ失敗で客がどんどん離れていく。
もちろん、個々に学習していくのだが、受け継がれることもなければ、評価を出すところもないため、元の木阿弥になる。
メーカーと個人撮影の間にあるような作品だと、より顕著だ。
こちらは「積み重ねよう」とか「よくしていこう」という意識自体がないため、視聴者が「嫌がらせだろうか」と思いたくなるような作品も多い。
もとより狭間にあるような作品の売りは「珍しいだろ」にあるから、しかたがないのかもしれないが。
ただ、業界やジャンルが腐るときはたいてい「仕方がない」が横行している。
とどのつまり「仕方がない」は「解決策を考える気がない」というだけなのだ。
廃れるのも当然である。
狭間にあるようなものは、廃れたほうがいいから、これでいいのだろう。
「ちゃんと」というのも変だが、ちゃんとしたAV女優とちゃんとしたメーカーのAVに関しては、よりよい作品のためにノウハウを積み重ねていってもらいたいものだ。
2010年05月13日
映画に邦題っているの?
最近の邦題はかえって作品を殺している。英語のままの何がいけないのか。お客に「内容がわかりやすいように」なのだろうが、かえってややこしくしている。アルファベットをカタカナにするのもいただけない。そのままでいいのに。
最近だと「運命のボタン」だろうか「THE BOX」でいいよ。邦題つけた人、原作を読まず、コンセプトも理解していないとしか思えない。
最近だと「運命のボタン」だろうか「THE BOX」でいいよ。邦題つけた人、原作を読まず、コンセプトも理解していないとしか思えない。
2010年03月12日
うまい話はないってことだ
情報商材の大半が詐欺だと言われているのに、未だにひっかかる人の多いこと多いこと。新規の人は今までのことを知らないからしかたがないことだが、同時に「インターネットを利用した詐欺はなくならないだろう」と言われる理由でもある。
よく反論で「そうは言ってもいちど悪いことをすればその情報がネットに広まる。その意味では現実に詐欺を働くよりも情報の面で不利だよ」と言われるが、これは意味をなしていない。
大多数の人は「広まった情報」そのものを見ないからだ。
自分で考えてみればいい。「これだけ情報があふれる中で、毎日、どれだけの『新しい情報』を頭に入れていますか?」とね。
というわけで詐欺はなくならない。
よく反論で「そうは言ってもいちど悪いことをすればその情報がネットに広まる。その意味では現実に詐欺を働くよりも情報の面で不利だよ」と言われるが、これは意味をなしていない。
大多数の人は「広まった情報」そのものを見ないからだ。
自分で考えてみればいい。「これだけ情報があふれる中で、毎日、どれだけの『新しい情報』を頭に入れていますか?」とね。
というわけで詐欺はなくならない。
2010年03月06日
2009年12月28日
信長の野望天道がゲームソフトとしてひどすぎる件
これはシミュレーション特有の愚痴でもなく、数多い武将のパラメーターの愚痴でもない。
むしろ、その手の愚痴を言いたかった。
「AIが馬鹿だ」「お気に入りの武将のパラメーターが低い」はゲームとして楽しんでこそ言えることだからだ。
ゲームソフトとして欠陥があるのだ。
バグである。
命令通りに部隊が動かないのである。
特定の条件でソフトが終了するという、もはや遊ぶ以前のバグは修正パッチで起こらない。(普通にプレイして頻繁に発生する条件のバグを発売してから気付いてパッチを出す時点で、このゲームのテストプレイがどれだけひどいかがわかる)
だがもうひとつの致命的なバグである「出陣した部隊が自分の城から動かない、敵の城までの途中で止まる、陣形で包囲を選んでいると敵の城の前で何もせずに停止」など、最後のものは敵に攻撃されて壊滅するのを待つだけという開いた口がふさがらないものだ。
バグのひどさもそうだが「陣形で包囲」でのバグに誰も気付かなかったのかと疑う。
それとも気付いていて、納期や開発費や開発人数から、わざと知らないふりをしたまま売ったのか。「売ってしまえば何を言われてもいい。金さえ入るのだから」と、そういう態度だろうか?
この会社だからやりそうで怖い。
先日もこの会社が出した別のゲームで名称に関する問題が出ていた。
ゲーム会社の老舗らしいから、この不況だし、ゲームの売り上げも落ちているし「潰れる前にネームブランドでぼったくれるところから取ろうぜ」な流れならふざけた話だ。
家庭用ゲーム機向けでも発売されるらしいが、これらがどうなっているかの評価は後から調べてみたい。
むしろ、その手の愚痴を言いたかった。
「AIが馬鹿だ」「お気に入りの武将のパラメーターが低い」はゲームとして楽しんでこそ言えることだからだ。
ゲームソフトとして欠陥があるのだ。
バグである。
命令通りに部隊が動かないのである。
特定の条件でソフトが終了するという、もはや遊ぶ以前のバグは修正パッチで起こらない。(普通にプレイして頻繁に発生する条件のバグを発売してから気付いてパッチを出す時点で、このゲームのテストプレイがどれだけひどいかがわかる)
だがもうひとつの致命的なバグである「出陣した部隊が自分の城から動かない、敵の城までの途中で止まる、陣形で包囲を選んでいると敵の城の前で何もせずに停止」など、最後のものは敵に攻撃されて壊滅するのを待つだけという開いた口がふさがらないものだ。
バグのひどさもそうだが「陣形で包囲」でのバグに誰も気付かなかったのかと疑う。
それとも気付いていて、納期や開発費や開発人数から、わざと知らないふりをしたまま売ったのか。「売ってしまえば何を言われてもいい。金さえ入るのだから」と、そういう態度だろうか?
この会社だからやりそうで怖い。
先日もこの会社が出した別のゲームで名称に関する問題が出ていた。
ゲーム会社の老舗らしいから、この不況だし、ゲームの売り上げも落ちているし「潰れる前にネームブランドでぼったくれるところから取ろうぜ」な流れならふざけた話だ。
家庭用ゲーム機向けでも発売されるらしいが、これらがどうなっているかの評価は後から調べてみたい。
2009年12月19日
民が廃れれば国も廃れる
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20091218/dms0912181152000-n2.htm
これは極端な例ですが「自己中心ここに極まり」が国に浸透しています。誰も彼も語るのは、自分の保身のみです。
理想の生活も「自分の思い通りに動いてくれる人間に囲まれて、大金をばらまいて暮らしたい」な世迷いごとばかり。それは「理想を語る」とは言いません。ただの現実逃避です。
1980年代1990年代、私は幼子、学生として過ごしましたが、つたない私でも当時の世相には個人にも社会にも「目標」「理想」がありました。
結果的にその「社会の理想」は誤っていたみたいですが、それでもあったのです。その時代ごとに、国ごとに、地域ごとに、人それぞれに個々の目標や理想があるように、あったのです。
今はそれがありません。少なくとも示されていません。
そういう世の中で何が起こるか。「隣の家の人間が死のうがどうでもいい」です。これは無関心とは意味合いが異なります。「自分さえよければ」はバブル崩壊から立ち直ってからの日本人のイメージになりましたが「隣の家の〜」はそれらとはまったくの別物です。
何が違うかといえば「助ける余裕がある場合の判断」です。以前は「自分に余裕がない」ために気付いても見過ごすというものでした。今は違います。今は助ける余裕があったとしても「自分がそれをしないといけない」という理由がなければ手を貸しません。
「そんなのは以前からあった」といわれそうですが、日本のイメージが世界で極端によかったのは手を貸していたからです。公私に関係なく、企業や個人に関係なく、なんだかんだで国内外に渡って日本人は助けていました。今は理由がないと助けない。
これが今の日本です。
海外援助をしていても日本の評価は悪くなり始めました。なぜか?「そこに理由があることがはっきりしているから」です。助けられるという行為そのものがいくら立派でもいただけないのは明らかです。
そして助けている側は「これだけ助けているのに感謝をされない」。助けられている側は「以前はともかく今は彼らは私たちではなく、自分たちのために私たちを助けているに過ぎない」と、互いにぎくしゃくしています。哀しいことです。
国内のみに目を向けても、同じことが言えます。都会と田舎、企業と個人、投資や誘致、どれも、行う側、行われる側に関係なく、そこに打算が明らかになり、また打算しかないため、本当は尊いことをしていても生き甲斐を感じられない人が増え、また「生き甲斐を感じられる行為をしているはずなのに」と逆ギレする人が増えています。
子供が未来に希望を持たないのは「打算で生きることに意味があるのか」と真面目に考えるからです。食って寝る、セックスして子供を作る。動物と同じだからです。人も動物ですが「人はもっとも優れた動物である」と教えられる現代人にこれは屈辱でしかありません。ましてや子供にとってはショックでしょう。「おまえは優れた人でありながら劣る動物と同じことしかできないのか。それでも人間か」と思い込まされるのですから。
大人も同じです。養う側は「俺は何のために養っているんだ。自分のためにもならない相手の生活費まで稼いで。子供ができたら自分を尊敬しない子供の分まで稼ぐのか。で気付いたら人の世話にならないといけないほど老いているのか」です。養われる側も「どうして養う人に自分の人生を委ねないといけないのか」と「どうでもいいこと」に集中しすぎて、しなければいけないこともしたいことにも目を向けません。
これでは民そのものが疲弊するのは当然です。
そして民が廃れれば国は滅びます。
国は偉い人が作ります。それを動かすのは民です。優れた指導者がいれば馬鹿な民でもそれなりの国になりますが、いくら優れていても民そのものが動かなくなればどうしようもありません。無はどれほど大きな数字をかけても無でしかありません。
それだけは避けたいものです。
これは極端な例ですが「自己中心ここに極まり」が国に浸透しています。誰も彼も語るのは、自分の保身のみです。
理想の生活も「自分の思い通りに動いてくれる人間に囲まれて、大金をばらまいて暮らしたい」な世迷いごとばかり。それは「理想を語る」とは言いません。ただの現実逃避です。
1980年代1990年代、私は幼子、学生として過ごしましたが、つたない私でも当時の世相には個人にも社会にも「目標」「理想」がありました。
結果的にその「社会の理想」は誤っていたみたいですが、それでもあったのです。その時代ごとに、国ごとに、地域ごとに、人それぞれに個々の目標や理想があるように、あったのです。
今はそれがありません。少なくとも示されていません。
そういう世の中で何が起こるか。「隣の家の人間が死のうがどうでもいい」です。これは無関心とは意味合いが異なります。「自分さえよければ」はバブル崩壊から立ち直ってからの日本人のイメージになりましたが「隣の家の〜」はそれらとはまったくの別物です。
何が違うかといえば「助ける余裕がある場合の判断」です。以前は「自分に余裕がない」ために気付いても見過ごすというものでした。今は違います。今は助ける余裕があったとしても「自分がそれをしないといけない」という理由がなければ手を貸しません。
「そんなのは以前からあった」といわれそうですが、日本のイメージが世界で極端によかったのは手を貸していたからです。公私に関係なく、企業や個人に関係なく、なんだかんだで国内外に渡って日本人は助けていました。今は理由がないと助けない。
これが今の日本です。
海外援助をしていても日本の評価は悪くなり始めました。なぜか?「そこに理由があることがはっきりしているから」です。助けられるという行為そのものがいくら立派でもいただけないのは明らかです。
そして助けている側は「これだけ助けているのに感謝をされない」。助けられている側は「以前はともかく今は彼らは私たちではなく、自分たちのために私たちを助けているに過ぎない」と、互いにぎくしゃくしています。哀しいことです。
国内のみに目を向けても、同じことが言えます。都会と田舎、企業と個人、投資や誘致、どれも、行う側、行われる側に関係なく、そこに打算が明らかになり、また打算しかないため、本当は尊いことをしていても生き甲斐を感じられない人が増え、また「生き甲斐を感じられる行為をしているはずなのに」と逆ギレする人が増えています。
子供が未来に希望を持たないのは「打算で生きることに意味があるのか」と真面目に考えるからです。食って寝る、セックスして子供を作る。動物と同じだからです。人も動物ですが「人はもっとも優れた動物である」と教えられる現代人にこれは屈辱でしかありません。ましてや子供にとってはショックでしょう。「おまえは優れた人でありながら劣る動物と同じことしかできないのか。それでも人間か」と思い込まされるのですから。
大人も同じです。養う側は「俺は何のために養っているんだ。自分のためにもならない相手の生活費まで稼いで。子供ができたら自分を尊敬しない子供の分まで稼ぐのか。で気付いたら人の世話にならないといけないほど老いているのか」です。養われる側も「どうして養う人に自分の人生を委ねないといけないのか」と「どうでもいいこと」に集中しすぎて、しなければいけないこともしたいことにも目を向けません。
これでは民そのものが疲弊するのは当然です。
そして民が廃れれば国は滅びます。
国は偉い人が作ります。それを動かすのは民です。優れた指導者がいれば馬鹿な民でもそれなりの国になりますが、いくら優れていても民そのものが動かなくなればどうしようもありません。無はどれほど大きな数字をかけても無でしかありません。
それだけは避けたいものです。



